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看護師という仕事に導いてくれたのは父かもしれない。30歳からのスタート!!

看護師 森 眞貴

 高校3年生、まさに大学受験直前の1月、父が心筋梗塞でこの世を去りました。英語が好きだった私は、大学の英文科を目指して受験勉強していました。残された母と私と弟。母が病気になった時、看てあげたいという強い気持ちがこの時生まれました。地元を離れ大学に進学して広島県内に就職をしました。父の他界と何か資格をとりたいと看護師になろうと決意しました。地元に戻り、看護助手の仕事をしながら、准看護師養成の専門学校に通いました。2年で卒業して、看護師免許を取るためにさらに2年看護専門学校に通いました。
国家試験に合格した時は、「われながらよく頑張った!」と思いました。いつも「応援しているよ」と背中を押してくれたのは母と、一緒に学んだ友のおかげです。看護師としてスタートを切ったのは、ここ市立三次中央病院の脳神経外科と内科の混合病棟です。30歳でした。

ここまで頑張れたのは、多くの人たちの支えがあったから

 医療の世界は、思っていた以上に厳しいものでした。看護一つひとつの処置に意味と責任があります。社会人経験のあった私でしたが、「これが専門職の仕事なんだ、甘くはないな」と思いました。知識を持った上での観察力が必要です。「異常」を見分けるには、まず「正常」を知る必要があります。慣れるには3年ほどかかりましたが、私がくじけることなく続けられたのは、新人の時に指導役になってくださった先輩のおかげです。失敗したときは、厳しく指導されましたが、その後に食事を誘ってくれるなどフォローもずいぶんしていただきました。「私が育てるんだ」という熱い気持ちが伝わってきたので私もそれに応えようと必死でした。

みんなに支えられている私は、患者さんの顔を見て励まし、根拠のある看護をしていきたい

 今は、外来で放射線科に勤務しています。今の仕事の中心は、IVR(インターベンショナル、ラジオロジー:画像下治療)という血管内検査を用いた看護です。対象となるのは、動脈性疾患、消化器疾患、ほぼ全科です。全身麻酔をせず日帰りで治療できるので患者さんの数も増えています。この部署では7年目、今や看護師の中では古株です。この看護には専門知識と根拠のある看護、急変した患者さんへの対応が求められます。最新の治療ですが患者さんの顔を見ながらしっかり励ましていくことも大切です。後輩を育成するにも自分自身が成長することが必要です。日々それを意識しながら仕事に取り組んでいます。