公開日

3人の子育てと仕事の両立を続けられているのは、周囲の協力があってこそ

看護師 白石 尚美

 私は三次市の隣の庄原市の出身です。高校3年で進学を考えたとき「手に職を付けたい」と思い地元から離れた看護大学への進学を決めました。卒業後は広島市内の総合病院に就職し消化器外科に配属されました。「病院は病気になった患者さんがやってきて治療を受けて元気になって退院するところ」というイメージをもっていた私には消化器外科はほぼそのイメージ通りでやりがいのあるものでした。いわゆる“リアリティショック”もとくにありませんでした。学生時代から「看護の仕事はしんどいものだ」と覚悟していたので、実際に現場で厳しい場面に出会っても想像の範囲内だったのかもしれません。

外科から透析室への異動、看護師として初めて経験した大きな壁

 結婚を機に三次市に移ることになりました。三次中央病院は県北でも中枢的な役割を果たしていることは以前より知っていました。そこで第一志望として4月に採用されるように計画的に転職活動をして採用され、外科に配属されました。これまでの経験も活かすことができ願ったとおりの転職です。その後20代でで第1子、第2子を出産。育児休暇から戻ってきた後で外科から透析室へと異動となりました。ここまでは看護師としては順調そのものだったと思います。
 しかし、ここで看護師として初めて大きな壁にぶつかりました。というのもこれまで経験していた外科の看護は、「治療して元気になって退院する」ことを支援するという私が学生時代から抱いていたイメージどおりのものでした。しかし透析室の看護は患者さんが一生続けていくことになる透析療法を支援するものです。しかも長く治療を続けておられる患者さんも多く、疾患や治療法については私より知識も経験も豊かなのです。見たこともない透析の機械、経験のない穿刺、検査データの見方も一から勉強です。毎日がたいへんです。家に帰れば子育てもあります。初めて「看護師を辞めたい」と思ったのはこのころでした。

患者の個別性に寄り添い、関わる。これがむずかしい、でもおもしろい

 1年ほどそんな日々を過ごすうちに、私の看護観に大きな変化が生まれました。「透析看護は病気だけを見るのではなく、患者さんの生活を支えること」。そのためにはふだんの何気ないコミュニケーションから患者さんのもつ背景を知ることが大事なのです。そして変化があれば気づけるようにいつも気を配っていくことです。その積み重ねが信頼関係になります。1回4時間を週に3回の透析です。患者さんによってはご家族よりも顔を会わせる機会が多いこともあります。治療のことはもちろんですが、患者さん一人一人の生活に寄り添い関わることで、患者さんが大切にされていることを一緒に支えていきたい。とてもむずかしいことですが、それが透析看護のおもしろさです。そんな看護をこれからもやっていきたい。家庭では30代で第3子を出産。末っ子は3歳になりましたがまだ急に熱を出したりすることもあります。職場の仲間に協力をしてもらい何とか子育てと仕事を両立しています。今はまだ助けてもらうことのほうが多いですが、これから周りで子育てをがんばっている人がいたら今度は自分が助ける立場になりたいと思っています。